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大韓航空機007便の撃墜と乗客のその後

 

 

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「大韓航空機007便の撃墜と乗客のその後」に関してのよくある質問とその回答をまとめたQ&A集

これらの質問はいろいろな議論の中で出てくる論点を詳しく解明していくものです。これらの質問は、007便の救出:KAL007便とその生存者たちの語られなかった物語 の本に出てくる題材と同様に、最新の情報またはこの本に含まれなかった情報を取り扱っているのです。このセクションは、このホームページの生き生きとして発展していくセクションになるように意図されています。もし質問がございましたら、メ-ルでお送りください。また、私たちがそれらの解答をこのセクションに付け加えていきます。

目次

  1. なぜロシア(当時はソビエト連邦)は最初、民間機であるKAL007便を撃墜した事を否定したのですか?なぜロシアは今日に至るまで乗客を拘束し続けているのですか?
  2. この調査を行い、また公表する上でどんな妨害があったのですか?
  3. KAL007便の予定されていた飛行経路からの逸脱については何と言われていますか?
  4. 「ブラックボックス」のテープとそのコピー(転写物)は信頼できる物ですか? それらはどのように使われているのですか?それらは「勝手に変えられ た」のですか?
  5. ミサイルが爆発した時、KAL007便はどうなりましたか?「ブラックボックス」のテープで私たちは何を知る事が出来るのですか?
  6.  「ブラックボックス」のテープの記録が止まった後のKAL007便の安全飛行可能性と航行可能性については、何と言われていますか?
  7.  KAL007便の最後の数分間に関しては、何が明らかになっているのですか? そしてどのようにそれは明らかになったのですか?
  8. 「CIA報告」とは何ですか? その情報源はどこからで、その値打ちはどれほどの物ですか?
  9. KAL007便はサハリンに着陸したのですか、それともモネロン島沖の海面に着水したのですか?
  10. 生き残った乗客と乗組員は、ソビエト軍に捕えられた後どうなりましたか?
  11. なぜソビエト軍は、KAL007便の乗客と乗組員に関する証拠を全て処分する代わりに彼らを生かしておいたのでしょう?
  12. ソビエト軍によって返還された乗客の所持品はどれも、乗客の救出に関係しているのですか?また乗客の靴についてはどうですか?
  13. 乗客の荷物はどうなりましたか?
  14. KAL007便以外の他の飛行機の不時着行動で生き残った人たちの記録はあるのですか?
  15. このホームページがFAQ10で取り組んでいる様に、もし本当にKAL007便で生存した子供達がソビエトの孤児院に送られたのなら、なぜ彼ら(もう成人している)の便りは私たちに届かないのですか? 彼らには本当の両親とそれまで生活してきた事の記憶がないのですか?また、彼らは世の中にこの出来事を知ってもらいたくないのですか?

1.  なぜロシア(当時はソビエト連邦)は最初、民間機であるKAL007便を撃墜した事を否定したのですか? なぜロシアは今日に至るまで乗客を拘束し続けているのですか?

これらの質問の答えは、1983年当時の冷戦状況の一般的な分析によって分かるのです。

  1. アメリカのレーガン大統領は既に公然とソビエト連邦の事を「悪の帝国」と酷評していました。
  2. 1979年の12月12日、NATO(北大西洋条約機構)事務局長のジョセフ・ルンスは、大陸間弾道ミサイルにおけるソ連の優位に対抗するために、アメリカはパーシング2中距離弾道ミサイルと地上発射巡航ミサイルをヨーロッパに - モスクワからたった6分の距離の所!- 配備すると発表しました。
  3. ユーリー・アンドロポフはNATOのミサイル配置を思い留まらせるため、ソ連は善良な平和愛好国であると見せかけようとしました。
  4. もしソビエト軍が乗客を直ちに解放していたら、彼らの「平和愛好」イメージを壊しかねない過失性を認めなければならなかった事でしょう。実際、真実が暴露された様に、ソビエトの努力は水泡に帰したのです。アメリカは国連で、SU15(ソ連の戦闘機)のパイロットのゲンナジ・オシポビッチが「標的は破壊されました」と言ったテープを公表しました。それでNATOはパーシング2ミサイルを1983年の11月に配備したのです。ゴルバチョフ(ソ連書記長)がワルシャワ条約機構の解体に同意するまで、それらのミサイルはヨーロッパに配備されていました。(1987年12月、レーガンとゴルバチョフは初めての全種類の中距離ミサイルの削減条約にサインしました)
  5. 1991年8月のゴルバチョフに対するクーデター失敗で、プーゴ将軍とアフロメイェフ元帥を含む15人の反乱者は自殺したのです。他方、反乱者のバレニコフ元帥とKGB長官のウラジミール・クリュチコフはゴルバチョフにより投獄されましたが、その後すぐに釈放されました。バレニコフは陸軍司令官でした。またクリュチコフはKAL007便撃墜当時のKGB第一総局長でした。この二人はソビエト軍の中でも特に強烈な外国嫌いで、反アメリカ的で核対決志向の性質を象徴するような人たちでした。この二人は、初めからKAL007便を隠蔽する工作を指揮していたという点で同じだったのです。(バレニコフは9月1日にサハリンに、一回目の軍の調査を指揮するため、そしてダメージを抑制するために到着しました。クリュチコフはKGBの高官で、KAL007便が撃墜されたすぐ後にモスクワのルビヤンカ刑務所でアメリカのラリー・マクドナルド議員をじきじきに尋問しました)
    彼らが釈放された事は、彼らが依然影響力を維持している事を反映していました。クリュチコフは依然現役で、ロシア大統領のプーチンの個人的な友人で、講演活動をこなしているのです! そしてバレニコフは現在、ロシア国会の退役軍人問題委員会の委員長なのです。今日に至るまで、彼らはKAL007便の隠蔽工作を維持するのに強い影響力を持っているのです。最近の本である、 「戦争の恐怖:ロシアとアメリカの核の瀬戸際外交、ピーター・ビンセント・プライ著、プレーガー出版社、1999年」は、これらの事柄がこの本の中でいかに1993年10月のボリス・エリツィンに対するクーデターの最中に働き、そしていかにそれらが現在も影響力を行使しているのかという事を説明しています。これらの事柄は現在、ロシアの通常戦力が、いかに弱体化していてロシアにはもう核で対抗する解決策しか残っていないと警戒しているので、より危険であると言えるのです。
  6. ロシアは、もしKAL007便の乗客と乗組員を解放したら、アメリカにおいて反ロシア感情が高まり、アメリカがロシアに現在行っている援助が打ち切られるのではないかという事を恐れているかもしれません。
  7. 最後に、もしソビエト軍がラリー・マクドナルド議員(何人かが信じている様に)を手に入れるために、KAL007便を撃墜したのなら、またはもしソビエト軍が、彼らが意図せず手に入れた物が貴重すぎて戻せないと知ったのなら、ソビエト軍は乗客の1人でも解放すればソビエト軍が彼(ラリー・マクドナルド)を抑留している事を認めざるを得なくなるので、乗客の誰をも解放しないでしょう。
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2.この調査を行い、公表する上でどのよう な妨害があったのですか?

ソビエト連邦からの移住者で、イスラエルに おいて「ソビエトの強制労働収容所、精神矯正 収容所」レサーチセンターを設立したアブラハ ム・シフリンは、KAL007便撃墜事件の調 査を行っていました。彼は、行った調査結果のパブリック・ディスクロージャー(情報公開)に対しての妨害に出会ったのです。1991年、彼はKAL007便の生存者と彼らが撃墜の後にソビエトによって投獄された事の証拠を提示するために記者会見を開こうとしました。会見が行われる前の日に、レサーチセンター事務所からの者であると言い張る人間が、招待されていた様々なメディアの代表と接触し、「記者会見はキャンセルされました」と言ったのです。その人間と接触した記者は誰も会見に来なかった事に、シフリンも相当驚いたのです。

1990年代の中頃に、私の働きに対しても最も激しい妨害がありました。

韓国のメディアが飛行機で見つかった重要な物を調査したり、公表したりするのを妨げる企ては部分的にまたは完全に成功したのです。シフリンと私を交えた3回のインタビュ-は、イスラエルにおいて韓国メディア - 報道機関、雑誌とテレビのゴールデンタイム - で発表するために行われたのです。 KCIA(韓国中央情報部)はテレビのプログラムが2回放送された後、放映を止めさせ、全ての新聞が飛行機から見つかった物を紹介するのを妨害しました。ですが、KCIAは韓国語の雑誌「Win」の1996年1月号が、私たちが発見した物を公表する事の妨害はできなかったのです。1996年2月号では「CIA報告」の21ページの要約が掲載されました。ですが、その雑誌は、残りの7回のシリ-スを掲載する事を禁止させられました。

出版される少し前、イスラエルの韓国人社会ではKCIAの秘密情報員と見なされている、テルアビブの韓国大使館の代表が私に接触してきたのです。彼は私に面談を申し込み、私はそれに同意しました。私たちは2時間近く話し合い、面談の最初の1時間の間、彼は私のKAL007便の乗客救出の計画を止めさせようとしました。残りの時間、彼は私の韓国メディアとの過去の接触とこれからの接触を嗅ぎ付けようとしました。私は事件から9年後のこの時に韓国政府のKAL007便に抱いていた関心について、私がその当時、調査していたできる限りの範囲で得られたものはどんなものでもその男に明かさない様にしたのです。しばらくしてから最後の韓国メディア - テレビ取材チーム - と私との接触は、テレビ取材チームがソウルからテルアビブへの予定されていた飛行機に乗れなかった事により中止になりました。
他にも、明らかに虚偽のKAL007便に関する手がかりや無言の脅し等のような妨害などの徴候はあったのです。しかしながら、それらは全容を把握し、(または)事実である事を証明するのが困難なので、このセクションで詳細は述べません。

これらの全ての反対に出会って、私の「KAL007便の事件を各国政府は隠蔽したいと願っているのだ」という確信は強まったのです。

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3.KAL007便の予定されていた飛行経路からの逸脱については何と言われていますか?


KAL007便の実際の航跡と予定航跡。情報源は:www.cia.govからのものです

この種のフライトは、多くの航行補助装置 -慣性航法システム(INS)時代の最も重要な物 - を使います。INSは「航路定点」と呼ばれる航行の「目印」を必要とするのです。アンカレッジからソウルまでのKAL007便のフライトにおけるこれらの「目印」の内の最初の2つ(アンカレッジ通過後)は、ケルン山(離着後28分の位置)とベテル(離着後50分の位置)でした。「針路捕促限界」と呼ばれる予定ルートからの許容逸脱範囲はその「目印」を目標としているル-トに沿った物です。フライトがその航行限界の内側にいる限り、自動操縦装置はINSに捕捉制御され、もし飛行機が迷ったら航跡に戻されるのです。
離陸後すぐに、飛行機は自動操縦モードになり、「航法形態」は「磁針向首方向」(真北から1300マイルに位置しているカナダ北東の磁北極によって定められる)にセットされます。KAL007便は、離陸後約10分してから、予定コースからそれ始めました。この事に関しては、ICAO報告は何の原因も述べていません。
なぜINSは自動操縦装置を捉えられなかったかという事に関して、考えられる2つの原因があるのです。

  1.  パイロットはINSに自動操縦装置モードを設定しなかった。
  2.  パイロットはINSに自動操縦装置モードを設定したが、それは飛行機が7.5海里(NM)航行限界を離れた場所を通過した後での事であった。このINSに自動操縦装置を設定したのは、ケルン山の航路定点を通過した後での事だった。ケルン山において、フライトは既にコースを6.5マイルそれていたが、なお「航跡捕促限界」内にいた。もし航空管制がKAL007便にコースからそれていると警告していたら、パイロットは航法形態を磁針向首方向からINSに切り替え、位置を何事もなく、修正したでしょう。その日の全てのフライトの中で、アンカレッジ航空管制はKAL007便とKAL15便の位置だけをはじき出せなかったのです。マクドナルド下院議員はKAL007便に搭乗していて、ヘルムズ、シムズ上院議員とハバード下院議員はKAL15便に搭乗していました。この航空管制のKAL007便とKAL15便の位置(そしてそれらの2つのフライト)を突き止められなかった事は、不幸であり、また興味を引き起こすものと言えます。

注意:パイロットは表示灯により、INSの自動操縦装置を選択した事を確信し、しかし既にKAL007便が7.5マイル航行限界を離れた場所にいたので、自動操縦装置が実際、INSの制御下になかった事を知るよしはなかった事をもパイロットは知っていたでしょう。「フライト・ディレクター・モードでの無指示によって、乗組員は、自動操縦装置はINSによって制御されていないという事実に気付かせられるという事態になったでしょう。」(ICAO 1993年、43ページ)

パイロットはINSを使わないで、通報ポイントのコース(12.6海里)からあまりに飛行機から遠く離れているベテルのVORTAC(超短波全方向式レンジ航空ナビゲ-ションシステム)“結局機能しなかったが”を「通報ステ-ション」としてではなく、「飛行コース送信機」として使い「実際の航跡」を「針路」に修正できたでしょう。

アンカレッジの超短波全方向式レンジ(VOR)は8月23日の午後10時17分から、9月2日の午前12時39分まで故障していました。(フライトの乗組員は、この事実を航空情報経由で知らされていました)もしそれが故障していなく、そしてもしKAL007便が正しい指示を与えられていたのなら、KAL007便はアンカレッジの「光線」を、コースを修正するのに使えたでしょう。- 飛行機のVOR画面は情報を「ただ読み込む」のではなく、情報を「統合」していたでしょう。
KAL007便が航路定点のベテルに到達した時、12.6海里もコースからはずれていました。慣性航法システム(INS)によってセットされた針路に進のではなく、磁針北方向に飛行し続け、KAL007便はコースから逸脱し続けていました - ネイビ-航路定点で60海里もコースからそれ、ヌックス航路定点で100海里もコースからそれ、ニ-バ航路定点で160海里もコースからそれていたのです。それからKAL007便はカムチャッカ半島のペトロパブロフスクのちょうど北のソ連領内に入り、サハリン上空での悲劇に遭遇したのです。

通常、アンカレッジを飛び立って極東に向かう飛行機は、光線を「探知」するものなのです - つまり、針路に沿った航法のために、アンカレッジのVORの光線を使うのです。パイロットはアンカレッジのVORが故障した事を知って、次の(最後の)北米大陸航行局 - アラスカの小さな漁村のベテルの「玄関口」局 - のVOR(TAC)からの光線を使って、KAL007便の位置を確認するという重要性にもっと気付くべきだったのです。

離陸後49分の時点で、パイロットは、コース内にいて、ベテルの上空にいる事を報告していました。「こちら007、離陸後49分経って、ベテルの上空です」しかし実際、彼らはコースを大きくそれていました。というのは離陸後50分の時点で、アメリカ空軍のキングサーモンのレーダーが、KAL007便がいるべきだった場所(ベテル)の12.6海里北一杯の所でKAL007便を追跡していたのです。それはINSによってセットされたコースからの許容「風圧」漂流範囲の6倍をも超えてそれていたのです。

INS(真北に進むよう測定された)が自動操縦装置を捕捉し、針路に固定するために、自動操縦装置は「INS」に設定されなければならなかったのです。デデータル飛行記録装置(DFDR)は、INSは全然自動操縦装置を捕捉しなかったという事を記録しています。KAL007便は全飛行において、245または246度の「一定の磁針向首方向」で飛行していました。もしINSが自動操縦装置を捕捉していたら、磁針向首方向は一定ではなかったが、航路定点が直線上になかったので磁針向首方向は、ずれてしまった区間を針路の区間ごとに正しく変更していたでしょう。

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4.「ブラックボックス」のテープとそのコピー(転写物)は信頼できる物ですか? それらはどのように使われているのですか? それらは「勝手に変えられた」のですか?

ICAOはフランスのBEA(飛行機事故調査と安全飛行勧告の部門)に操縦室のボイスレコーダー(CVR)、デデータル飛行記録装置とそれらのテープを調査するよう、下請けさせました。

ソビエトはこれらのテープを9年間、保持していて、この期間、持っている事を否定していました。ソビエトがテープを持っているという強力な証拠が明るみに出て、ロシア共和国のボリス・エリツィン大統領はテープを持っている事を認め、それを国連に引き渡しました。ソビエトがテープを不正に書き換えたという可能性に関して、「インサイト・マガジン」のティモシー・マイアーはこう言っています。

そのテープの一部は判読不可能であったけれども、テープが1993年にICAOに引き渡された時点で、テープに何らかの細工が施されているかどうか判読する技術がなかったので、テープに抹消の割れ目があるかどうかと、技術的に解析された事は一度もなかったのです。専門家はインサイト・マガジンに、高知能な装置、現在ニクソンのテープの(ウォーター・ゲ-ト事件に関しての)18分30秒の割れ目を再調査しようとしているワシントーンの音声抽出会社なら、もし議会がそれを要求するならKAL007便のテープから音声を抽出できるだろうと言っています。(インサイト・マガジン、2001年4月)

考えられるごまかしの証拠があります。-さらに調査される必要がある証拠です(BEAは今なお、もとのテープまたはそれの複製を保持しているかもしれません)

  1. ボーイング社の広報担当官のゲイリー・レッサ-が「1つしかエンジンが作動していない限りにおいて、両方の記録装置は、飛行機が海面に衝突するまで作動するのです」と説明しています。転写されて、公開されたCVRテープの一部分に載っていたのですが、副操縦士が2回報告した通り、エンジンは異常なく作動していました。ミサイル爆発の後、104秒間もKAL007便が飛行していた間、記録装置が「止まっていたので」、テープに消去、削除、接合または付けたしの証拠があるかどうかという疑問が残ります。
  2. サンドストランド社のDFDR(デデータル飛行記録装置)の800の周波数および時間部会テープは、ソウルからアンカレッジ、アンカレッジからニューヨークのJFK空港、そしてJFK空港からアンカレッジまでのKAL007便の27時間の飛行と、アンカレッジからソウルへ向かったKAL007便の飛行経過を記録しました。KAL007便が猛スピードで海面に衝突したために生データテープの割れ目を根拠にして、ICAOはテープに接合部分があった事を説明しました。「テープの最初から、おおよそ108、440、442と463の周波数および時間部会において、接合部分がありました。真ん中の2つは、2つのリール間のテープの長さに相当する間隔をあけられていました。そして最後のデータはこれらの2つの接合部分の間で、記録されていました。飛行機が猛スピードで衝突した結果、テープが記録を中断したのは別におかしな事ではありませんでした。その場所でテープがリールだけを残したのですが。」(ICAO報告、1993年、30ページ、1、14、3、5、3段落)しかしながら、私たちが議論している様に、もし記録装置が猛スピードの衝突で壊れなかったのなら、これらの2つの接合部分には他の説明がなくてはなりません。付け加えて私たちは以下の事を指摘しておく必要があります。1993年のICAO報告に付け加えられたロシア軍の転写物は今日、私たちに、KAL007便は少なくとも1835GMT(グリニッジ標準時)まで、ミサイル爆発の後、飛行を続けた事と、ロシアのレーダーが少なくとも1838GMTまでモネロン島上空でKAL007便が広範囲ならせん降下をしているのを追跡していた事を教えてくれています。それにも関わらず、ミサイル爆発(18時26分02秒)後のテープの中断時間が104秒であるので、「猛スピードでの衝突」故に、ブラックボックスが同時に止まったというのはもはや信頼できるものではありません。
  3. コリンズ社の操縦席ボイスレコーダーループテープには、さらに今日の最先端の調査が行われる必要があります。そのル-プには30分一杯の記録が入っています。もしソビエト軍がテープの最後から、ミサイル爆発後の飛行のほとんどを削除したのなら、彼らはループの「始め」に、削除された総量を付け加えたに違いありません。- 衝突に先立つその部分に - ICAOは、チュン機長と副操縦士との間で交わされた最初の9分の日常会話で、異常な暗騒音も記録されていたと結論づけています。「断続的に、最初の7分45秒の記録の中で、調子を合わした持続的な波動半自動式モ-ルス信号のトーンと認識されるいくつかの異常な音がありました。
    粗悪な記録された信号と限られたパイロットの行動故に、読み出し鑑定または誰に信号を送ったのかという証明は不可能でした。」ICAO報告、1993年、25ページ、1.14.2.4.3段落) 明らかにモ-ルス信号ではあるけれども、そのような重大な連接における、異常であって識別不能な物は、さらに解明のために調査されるべきなのです。ソビエトはラジオの雑音を装うために、背景で電気かみそりを使って、撃墜の間の迎撃機のパイロットと地上管制官の通信の音声テープに不正に手を加え、再録音したのです!(この情報の出所は、共和党局員論文/「CIA報告」の69ページで報告された様に、19991年のイズベスチヤのKAL007便を取り扱った一連のシリーズから来ているのです)

要約すれば、次にあげる理由からソビエトによるテープの改ざんは大いにあり得るのです。

  1. ブラックボックスの両方の構成物(CVR:操縦室のボイスレコーダーとDFDR:デデータル飛行記録装置)はミサイル爆発後も動作していた。
  2. 電気系統が損傷していたという証拠は何もありません。(KAL007便から日本の地上管制官へのミサイル爆発「後」の高周波通信と、4つの全てのエンジンは通常に機能していたと報告されています。)
  3. 両方の記録装置は、いかなる推測され得る飛行機事故に先立って、何分か「止まっていた。」(レーダー追跡と軍の瞬時通信によって実証されています)
  4. 両方の記録装置は、飛行機の胴体の反対の部分の電線路と、記録装置のめいめいの計器に取り付けられた個々の先端部が原因で、正確に同じ秒で「機能が止まった。」

現代の技術が1993年の技術でできなかった事を解明できて、ICAOの最終報告が、政治化され、最低限度であるので、(技術委員会の報告における非政治的な文言とは対照的に、最終報告の文言は、ICAOへの様々な国(ロシア、米国、etc)の代表による投票の産物なのです)私たちはこれらのテープに関して他の調査をしてもらうべきなのです。テープが入った記録装置が、テープが止まった時間(ミサイル爆発後1分44秒)に、猛スピードの海面衝突に巻き込まれていない事は、ソビエトの地上間通信とKAL007便の飛行を捉えたレーダー追跡が、両方とも、この時間(または違う時間に)における猛スピード海面衝突によって飛行が中断された訳ではなく、KAL007便は少なくとも他に10分以上(1838GMT)飛行していたと情報を提供しているので、十分立証されるのです。この事は、スピードが減速した時の事なのです。

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5.ミサイルが爆発した時、KAL007便はどうなりましたか?「ブラックボックス」のテープで、私たちは何を知る事ができるのですか?

シンフォニ-(交響楽団)において、それぞれの楽器は自分の「流れ」をもっています。ですが、そこには全てを包括する1つの決定的な主旋律があるのです。ですからデデータル飛行記録装置のシンフォニーにもそれがあります。デデータル飛行記録装置のグラフの1つ1つの線は、筋の通った物語と、全てを統合してテーマが「破壊からの脱出」であるという長編冒険談を物語っているのです!

それぞれの流れを奏でている楽器は、私たちをKAL007便がどのようにやっと破壊を逃れたかという事の理解に深く導きます。その楽器とは、

  1. 機長のチュン・ビュン・イン、副操縦士で一等航空士のソン・ドン・フイと航空機関士のキム・ユイ・ドンが話した操縦室のボイスレコーダーによって録音された言葉1つ1つ。
  2. デデータル飛行記録装置によって記録された航空機の様々な機能を報告するセンサ-によって拾われた16のパラメーターの状況。16のパラメーター: 加速(横方向、縦と垂直方向)、高度(不正確でもあり、きめ細かくもある)、正確に測定された対気速度、飛行機のピッチにおける操縦ハンドル位置、横揺れに置ける操縦輪位置、第2、第3エンジンのエンジン圧力比、フラップ形状、超高周波(3)と高周波(2)無線通信要点、磁針向首方向、飛行機のピッチと横揺れの姿勢、方向舵ペダル位置、それのエンジンに関する逆推力装置の状態、電波高度計、自動操縦(マニュアル制御になっている状態となっていない状態)、自動操縦(管轄地域の支配を受けている状態と受けていない状態)と航路標識

この考察をもっと知るには、2つのグラフ、図表1図表2 [BEA(飛行機事故調査と安全飛行勧告の部門)の研究所によって作成されました]を参照してください。時間はそれぞれの表の下に、4秒間隔で表示されています。18時26分02秒(サハリン時間では06時26分02秒)の時点で、オシポビッチ少佐のアナブレーダー誘導空対空ミサイルは、KAL007便の後方50メートル、KAL007便の右の尾翼をわずかにそれて爆発しました。

機首はすぐに縦に揺れ始め(図表1の線2参照)、さらに緩やかに高度は上昇していきます(図表1の線1参照)。乗組員の計器には、これらの変化が表示されます。彼らはそれらに気付いたでしょう。ミサイル爆発すぐに、デュアルチャンネル・ヨー・ダンパー(二重チャンネル機種揺れ抑制機器)が損傷を受けたので(図表2の線6参照)、ジャンボ・ジェット機はバフェッティング(ヨーイング[機首揺れ])を起こし始めます。もし第1、第2油圧装置が十分機能していたら、ヨーイングは起こらなかったでしょう。起こるべきだったが起こらなかった事は、ミサイル爆発の衝撃後に、操縦ハンドル(図表1の線3参照)が前に押し出されなかった事です[飛行機が、以前の35000フィートに高度を下げるために、自動操縦(図表2の線8参照)であったので、操縦ハンドルは前に押し出されるべきだったのです]。自動操縦が高度での位置調整を仕損なったのは、自動操縦作動装置を作動させ、飛行機の昇降舵を制御しているシステムである第3油圧装置が損傷を受けたか、故障していたためでしょう。KAL007便の対気速度(図表1の線4参照)と加速比率(図表1の線5)は、KAL007便が上昇し始めるので、両方とも減少し始めます。

18時26分06秒に、機長のチュンは大声で言います。「何が起こったのだ?」副操縦士のソンが「何ですか?」と答えます。2秒後、チュンが叫びます。「スロットルを引け」ソンは「エンジンは異常ありません」と答えます。(この事は、オシポビッチ少佐の熱線追尾式ミサイルが標的を外した事を表しています。)KAL007便は上昇を続けていて、その時に、ミサイル爆発から20秒後に機室でカチッという音-「自動操縦接続解除警告」の音として認識されている音-が聞こえます。機長または副機長は自動操縦を解除していて、現在、飛行機を下降させるために、手動で操縦ハンドルを前に(図表1の線3参照)押し出しています。しかし、自動操縦のスイッチが「オフ」になっていても(図表2の線8参照)、手動モードは20秒間、作動しないでしょう(図表2の線9参照)。この手動モードが指示された事をなさなかった事は、第1、第2油圧装置の故障を意味しています。ですが、事態にちょっとした進展がありました!操縦ハンドルを前に押し出し、高度を上げていきましたが、KAL007便の機首は下げ始まっています。つまり、縦揺れはなくなってきているという事です(図表1の線2参照)。それにも関わらず、高度上昇の危険性に取り憑かれたチュン機長は叫びます「高度が上昇している!…高度が上昇している!」。(18時26分22秒と18時26分24秒)しかし、すぐに他の問題が現れるのです。

チュン(18時26分25秒):スピードブレーキが出てきた!

ソン(18時26分26秒):え、何ですか?

チュン(18時26分29秒):それをチェックしてくれ!

しかし、デデータル飛行記録装置によればスピードブレーキは出てきていなかったのです。2人のパイロットはすぐにメインの問題に戻ります。

ソン(18時26分33秒):高度を下げる事ができません。現在不可能です。

チュン(18時26分38秒):高度が上がっているぞ。

チュン(18時26分40秒):こいつは動かないぞ。だめだ。
そしてここで、変化が起こります。

もし私たちが、テープが明らかにしない事を感知できるなら、全くの絶望から歓喜へと変わる変遷を、静かな確信と決論に至るまで- その事を持って- 
理解できるでしょう。

18時26分41秒の時点で、チュン機長は副操縦士のソンに再び自動操縦装置を「手動に」するように指示したでしょう。ソンはその指示をしたように思われますが、同時に「手動にできません」(18時26分42秒)と絶望して言うのです。そして1秒後、「手動モードで動きません」と反復します。しかし、その瞬間2つの事が起こるのです。自動操縦接続解除警告の音がもう一回聞こえ、自動操縦装置は目的の手動モードに変わります(図表2の線9)。チュン機長は再び飛行機をコントロールできるようになりました。

18時26分45秒の時点で、副操縦士のソンは再び報告します。「エンジンは異常ありません」この事から、熱線追尾式ミサイルは標的を外した事がわかります。

チュン機長が現在の状態よりさらに操縦ハンドルを前に押し倒していないのに(図表1の線3)、高度(図表1の線1)は下降し始め、現在縦揺れに一致して高度は変化しています(図表1の線2)。対気速度(図表1の線4参照)と加速(図表1の線5)は、KAL007便が急に降下し始めたので、急激に増加していきます。

なおも降下している中、チュン機長と航空機関士のキム・ユイ・ドンはうっかりしゃべってしまうのです。(1秒後)

キム(18時36分50秒):高度が下がっているのは、パワ-圧縮のためで
しょうか?

チュン(18時36分51秒):そうなのか?

キム(18時36分52秒):それが原因の全部かもしれませんし、一部かも
しれません。

チュン(18時36分53秒):そうなのか?

次の9秒間、沈黙がありましたが、チュン機長は操縦のまっただ中にいたのでしょう。KAL007便が最大限の加速をして、わずかにミサイルの上の高度に下降したので、チュン機長は約8秒間、機首を上げて(図表1の線2)、加速は著しく低下し、そしてミサイルの上の高度で水平になりました。

8秒間の機種の上昇に先立って、副操縦士のソンは高周波無線1番を使って、東京の航空交通管制部を呼び出していました(図表2の線7参照):

ソン(18時26分57秒):東京管制部、こちら大韓航空機007便。

東京(18時27分02秒):大韓航空機007便、こちら東京。

ソン(18時27分04秒):了解、こちら大韓航空機007便…(解読不能な箇所)え-と、私たちは(…の事に遭遇しています)…

チュン、口をはさんで(18時27分09秒):全圧縮せよ。

ソン(18時27分10秒):急速圧縮します。1万フィートに降下します。

副操縦士のソンの東京への通信が示すように、チュン機長はだんだんと降下していきますが、結局その事によってKAL007便はモネロン島の海岸沖に不時着水することになるのです。

横揺れはテープの最後まで、そしてたぶんフライトの最後まで続いたのですが、全ての他のメインパラメーターは、KAL007便の耐空性と制御機能は問題がなかった事を示しています。急降下は中止され、ジャンボ・ジェット機はわずかに降下し続けていました。縦揺れは降下角度に沿って起こっていました。「指示対気速度」(IAS、図表1の線4参照)はミサイル爆発に先立っていた速度(310ノット)にほとんど正確に戻っていました。急降下での急加速と8秒間の機首上昇の最後での急減速の後、ミサイル爆発に先立っていた時の様に、KAL007便は現在、一定の法線加速度で飛行しています。そして自動操縦は、その時指示モードから解除され、チュン機長によって手動で操作されるべきであったので、手動モードで機能しています。ですが、目前の作業があったのです。操縦室(テープの転写物は声が誰かという事を特定していません)から:

18時27分20秒:現在…これを設定しなければ。

18時27分23秒:加速しろ。

18時27分26秒:スタンバイしろ、スタンバイだ。設定せよ!

3人の操縦士と、22人の子供、20人の客室乗務員と6人の「待機要員」(再配置フライト職員)を含んだ240人の乗客を乗せていたKAL007便は、悲劇から脱出しようとしていました!

注意:4つの油圧装置の内、3つが爆発でダメージを受けたか、又は故障して飛行していたKAL007便のコントロール制御は難しい事ではあったのですが、決して飛行不可能ではなかったのです。付録E(「007便の救出」の中の)には、全油圧装置が故障して18マイル飛行していたKAL007便に関しての転写物が載っています。

「ボーイング」(MBT出版社、オセオロ、ウィスコンシン 1998年)の中でG.ノリスとM.ワーグナーは、747の多重重複油圧装置の安全性に関する利益を説明していて(128ページ)、一例を示しています。

説明 --「油圧が、全最重要操縦装置、全重要操縦装置(先端のフラップを除く)と降着装置格納、翼の伸縮、ギア操舵そして車輪ブレーキの作動を行っていました。油圧装置1と4は上記の目的のために使われていたでしょう(KAL007便の油圧装置4はダメージを受けていませんでした)。一方、油圧装置2と3は、操縦装置のためだけに使われていました。油圧装置4は電源の3分の1を作っていたのです。めいめいの重要操縦装置軸は全ての4つの油圧装置によって動かされていました。

一例を挙げますと - 1971年の7月、パンアメリカン航空の目玉の航空機である、N747PAとして登録されたボーイング747は、サンフランシスコ国際空港を離陸後、軽重量の移動起重機に当たってしまったのです。乗組員は航空機のスピードと滑走路の距離を見誤ってしまったのです。飛行機がそれを飛び越えようとして急に上昇しようとした時、胴体の最後方の部分が移動起重機に衝突してしまいました。航空機は離陸を続けたのですが、移動起重機は貨物区分に突き刺さり、油圧装置の3つは破壊されてしまったのです。ジャンボ・ジェット機は空港の真上を一周し、無事着陸できました- ですが移動起重機はなおも貨物区分に突き刺さり、油圧装置はたった1つだけしか動いていませんでした。

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6. 「ブラックボックス」のテープの記録が止まった後のKAL007便の安全飛行可能性と航行可能性については、何と言われていますか?

ロシアによって国連に引き渡されたブラックボックスは、ミサイル爆発後の状況を1分44秒記録しているのです。飛行機が破壊から脱出して、そして操縦コントロール力も回復する事ができた事は、その入手可能なテープを聞いた限り明白と言えます。ソビエトと日本のレーダー追跡から、KAL007便がミサイル爆発後、10分かそれぐらいの時間飛行していた事は確かです。この時点に関しては、ソビエトの地上間通信もKAL007便を捉えていました。これらの情報源から、ᦄ